ジョルジョ・デ・キリコ

1888年 ギリシアのテッサリアのヴォロス(Volos)生まれ。
1891年 弟アンドレア誕生。
1900年 アテネの理工科学校に通う。この頃最初の静物画を描く。
1906年 家族とともに、ギリシャを離れミラノを経てフィレンツェに移住する。
1907年 ドイツのミュンヘンの美術アカデミーに入学。この頃、ニーチェやショーペンハウエルの思想に影響を受ける。
1909年 ミラノに移住。
1910年 フィレンツェに移住。弟はパリへ移住。最初の形而上絵画を手がける。
1911年 パリへ移住。
1912年 3点の絵画をサロン・ドートンヌに出品。
1913年 パリのアンデパンダン展、サロン・ドートンヌに出品。詩人で美術評論家のギョーム・アポリネールに注目され、のちに親交をむすぶにいたる。初めて絵の買い手が現れる。
1915年 第一次世界大戦が勃発。イタリア軍に召集されフィレンツェの連隊に入隊し、北イタリアのフェッラーラに駐屯する。当時のフェッラーラは繊維工場が発する麻を煮る臭いが充満する街で、その麻薬効果が当時のキリコの風景画に影響したといわれる。
1916年 詩人トリスタン・ツァラと親交をむすぶ。
1917年 フェッラーラでカルロ・カッラと知り合う。同年カッラは、形而上絵画の作品をミラノで発表する。
1918年 前衛美術雑誌『造形的価値(ヴァローリ・プラスティチ、Valori Plastici)』を創刊。詩的なテクストを発表。
1919年 ローマで個展を開くが、美術史家のロベルト・ロンギに酷評される。ジョルジョ・モランディと知り合う。ルネッサンス絵画の模写を始める。
1920年「形而上芸術について」、「技法への帰還」などを出版。
1921年 テンペラ画を描き始める。ベルリンの国立ギャラリーにて、大規模な「造形的価値グループ展」が開催される。
1923年 ローマ・ビエンナーレに出品。フィレンツェ、ローマに住む。
1924年 第14回ヴェネツィア・ビエンナーレに出品。
1925年 パリへ移住。
1926年 シュルレアリストたちとの決別を表明。ニューヨークで初の個展。
1929年 小説『エブドメロス(Hebdomeros)』出版。
1931年 ミラノへ戻る。
1932年 フィレンツェへ移住。
1935年 ニューヨークへ移住。
1938年 イタリアへ帰還。ローマに短期滞在し、ミラノへ移住。
1942年 ミラノの家を引き払い、フィレンツェへ移住。
1944年 ローマへ移住。
1978年 90歳の誕生日を祝う。11月20日ローマで死去。

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