シャルロット・ペリアン

1903年 パリで生まれる。
1926年 パリの装飾美術連学校卒業。自らアトリエを構え展覧会に家具の出品を始める。
1927年 サロン・ドートヌンヌに出品した『屋根裏のバー』が認められたことによりル・コルビュジエのアトリエに入る。 ル・コルビュジエとその甥であるピエール・ジャンヌレとの三人での共同でデザインをする。
1937年 ル・コルビュジエのアトリエを辞し独立。
独立後もル・コルビュジエ、ピエール・ジャンヌレらと良好な関係を維持している。
1940年 日本の商工省が輸出工芸指導の装飾美術顧問として招聘され来日。これは坂倉準三の尽力によるものであった。河井寛次郎、柳宗理らと交流。
1941年 日本で『選択・伝統・創造』展開催。商工省との契約解除。
1942年 日本各地を回り、伝統工芸に触れる。
第二次世界大戦の戦渦を避け仏領インドシナ(現・ベトナム)へ行く。
1946年 パリ帰還。コルビュジェの集合住宅実施計画に参画。
1949年 ル・コルビュジェ設計のマルセイユのユニテ・ダビシオンのためのオープンキッチンの試作品を製作。
1952年 ジャン・プルーヴェとの協働を始める。
1955年 日本で『ル・コルビュジェ、レジェ、ペリアン三人展』開催。
1959年 坂倉準三、進来廉とエールフランス東京支社オフィスをデザイン。
1966年 坂倉準三らとパリ日本大使公邸の内装をデザイン。
1967年 フランス・サヴォア県「アーク」のスキーリゾート計画に参画。
1985年 パリ装飾美術館にて『シャルロット・ペリアン大回顧展』開催。
1993年 パリ・ユネスコ本部大茶会のため「茶室」をデザイン。
1996年 ロンドンデザインミュージアムで『シャルロット・ペリアン モダニストパイオニア展』開催。
1998年 自伝『UNE VIE DE CREATION』刊行。
日本で『シャルロット・ペリアン展』開催。
1999年 没

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